

松浦家世伝や松浦系図には、「御厨公松浦の四男遊が、大川野に居住したので、大河野氏と称す。」となっています。直の一統はいわゆる下松浦で、同じ下松浦の平戸の祖といわれる弟の峯五郎披が、所領を与えられるまで兄のいる川西下構の峯館にいたのは久寿年間(1154~55)といいますから、そのころには大河野遊が日在城を築いているはずです。遊の子大川内弥次郎茂は大河内に分れて大河内氏や伊万里氏の祖となり、弟大河野三郎知が 日在城をついでいます。さきにあげた正治元年(1199)の秋、叔父たちとともに所領安堵のため鎌倉に上ったのはこの知のようですから、遊はすでにでなくその時は日在城主となっていたものでしょう。その弟宇久四郎守はその姓の示すように五島の宇久島に分れ、宇久氏の祖とされています。しかし、松浦党研究家古賀稔康氏の説によれば、大川野弥次郎茂は一世代後で「知」よりもおそく、その子であろうと推定されています。
また、宇久氏の祖は青方文書によって、佐志源二郎仰(唐津市佐志)の子宇久五郎厚が正しく、大河野氏の後ではないということです。
この日在城は、二〇〇mばかりの四つの峰からなっている山城で、山すその松浦川は自然の堀となり、頂上までは胸突くばかりの急な坂で、あちこちに点在する大岩は、それこそ守るのにもってこいという、攻めるにむずかしく、なかなか落とすことができない地です。峰々の間の空堀をよじ上って山頂に立てば、目の下には大川野の盆地が一目に臨まれ、西方はるかに、先祖の地である山寺城が見え、北には波多氏の岸岳城、南には厳木の獅子ヶ城が遠望されます。緊急の時はのろしで合図すればすぐに連絡がとれたことでしょう。


