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平戸松浦氏

 平戸松浦氏は、又唐津の波多氏、有田の有田氏、伊萬里の伊萬里氏等と同じ松浦氏の分系である。源太夫判官久の孫披、始め上松浦川西の峰邑に在りて峰五郎と稱せしが、治承元年(1177年)巖谷(東松浦郡嚴木村)に轉じ獅子ヶ城を築き […]

田代の筒江

 一時藩窯なりし大川村の田代焼さ稱するは、今の東田代部の筒江(田代より七八丁手前にて大川野より半里餘戸數三十戶)にて製造されしものにて、此處は元波多の家臣田代大炊助保(鶴田氏傍系筒江の舘に住す、五百石)の采邑である。古窯 […]

久 松浦源太夫 宇野御厨野檢校

秦 久茂 人皇三十八代天智天皇の朝に於いて秦久茂都より下りて外寇に對する警備の任に就きしより、子孫代々上松浦を領有すること四百餘年であった。而して此處の鬼子嶽(今の北波多村岸岳)山麓に舘を設けて支配せしより、此地方をさ稱 […]

大河野・鶴田・波多・伊万里氏関係系図

大河野・鶴田・波多・伊万里氏関係系図

久 松浦源太夫 宇野御厨野檢校押直 源四郎太夫 宇野御執行持 波多源太夫 波多源次郎勝 石志源三郎聞 新久田四郎広 神田五郎調 佐志六郎高俊 车田部七郎清 松浦源二郎 丹後・志佐・斑島等の祖栄 有田源三郎 有田氏の祖遊 […]

大川町誌年表

西暦 和暦 出来事鎌倉時代1281 弘安 四 弘安の役 元軍十四万襲来、松浦党も奮戦、敗走の元兵を鷹島で潰滅させる1287 弘安一〇 宇野御厨の荘官二十余人、一揆して鎌倉に上り、元寇の役の恩賞を催促する建武時代1333 […]

大坪(鶴田)重右エ門

 源大夫久から十五代目波多三河守好久の支城鶴田亀童丸の末孫大坪重右エ門を以て當家の先祖とす。重右エ門の父を平兵衛と云う。妻コト夫婦の中に二男あり長男を重右エ門、次男を一郎と云う。重右エ門分家して姓を大坪と称し大川野宿より […]

鶴田越前守前の墓

鶴田越前守前の墓

つるたえちぜんのかみすすむ 戦国時代の終わり頃(16世紀後半)にその存在が知られている獅子城は、敵対する佐賀地域と唐津地域の国境に近く、古くから戦の最前線として重要な場所とされてきました。当時、 松浦地方を中心に勢力を誇 […]

獅子城跡

獅子城跡

獅子城跡の歴史獅子城跡は治承~文治年間 (1177~1190) に峯五郎源披によって築城されましたが、 披の子である源持の時に平戸に移ったため以後長い間廃城になったといわれています。 持が獅子城を去ってから、 上松浦地方 […]

割出地返納

 降つて唐津の領主水野越前守忠邦の時、領内の全部を實地概測せしところ、總祿高より一万八千石の餘剰を割出せしを以て、此地味豊饒なる大川野地方を幕府へ返納すること成った。依つて之より此處は江戸の直轄地となり、其後肥前の島原及 […]

大川野遊

 元松浦黨の一家大川野遊の領地(千五百八十石)にて川西の日在城に居住し、別に含弟峰五郎彼が(平戸松浦及伊万里氏の祖)川西なる峰の舘に住居した。 而して遊の子孫鶴田、田代、河原を氏となして此地方に蟠居し、其外波多氏の旗下に […]