検索
Close this search box.

割出地返納

Picture of 鶴田 亀童丸
鶴田 亀童丸

 降つて唐津の領主水野越前守忠邦の時、領内の全部を實地概測せしところ、總祿高より一万八千石の餘剰を割出せしを以て、此地味豊饒なる大川野地方を幕府へ返納すること成った。依つて之より此處は江戸の直轄地となり、其後肥前の島原及對馬、薩摩又は豊後國日田(代官塩谷大四郎正義「天保七年九月八日卒六十八才贈正五位」來任支配した)等の臨時支配に轉々された。蓋しそれは前記の領内に於いて異常の不作ありし時に、其食祿補充として支配せしめたのである。而して此地方の製陶地は皆眉山の麓を巡り開せるは、其原料粘土の探收關係に基けるも地元なる各邑主がそれの保護を奥へしは勿論であらう。
肥前陶磁史考より

前に戻る
Facebook
Twitter
Email