龜壽丸

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平戸史要覧

平戸城松浦家の家系図側1左相融 嵯峨天皇の十六子・松浦家の始祖2亜相昇 河原大納言3武州仕 武蔵守4箕田宛5渡辺綱 丹後守、四天王の一人6奈古屋授7滝口恭8松浦久 検非違使として下向。松浦と称し松浦党をなす9御厨直10峯披 地頭職 大河野遊...
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寺澤廣高(寺沢広高)

寺澤廣高は大永五年尾張に生れ、織田信長に從ひ、後豊臣秀吉に仕へて、次第に立身し、肥前唐澤の城主となる、征韓の役に功あり更に筑前怡土郡の内二万石を加へらる、關原の役家康に從ひて濃尾の間に戰ひければ、其賞として更に肥後天草郡を加增せられ、所領十...
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古城跡 荘山城

荘山城 中手附の字に「じょうののつじ」と呼ばれている城跡があって、頂上付近に空濠の跡と伝えられている凹地が残り、ながめのきく標高一六〇米の山があります。その山麓には「館中原」「館」少しはなれた山ぎわには「屋敷」などの私称地名があって、中世の...
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鶴田 重右エ門

重右エ門鶴田菊治應永二年(1395年)源太夫久から十五代目波多三河守好久の支城鶴田亀童丸の末孫大坪重右エ門を以て當家の先祖とす。重右エ門の父を平兵衛と云い妻コト夫婦の中に二男あり長男を重右エ門、二男を一郎と云う。重右エ門分家し性を大坪と稱し...
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伊萬里

伊萬里灣 西松浦郡の伊萬里沿岸は、九州西北部の一端にて、古代大陸民族の渡せし、土地なることは、其地理的にも考察さるゝところである今遺跡として東山代村の日尾崎と、西山代村の波瀬の小島には、高句麗式の横穴古墳があり、そして日尾崎よりは、石器時代...
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御本陣來泊

御本陣來泊 藩主松浦凞は、或年唐津獅子ヶ城(厳木村)なる、祖先峯氏の墓参の歸途、正月の十四日橫石嘉助宅へ一泊し、翌十五日は三河内の今村槌太郎宅へ一泊せし記録がある。次には明治十四年十一月舊藩主松浦厚は、舎弟靖を同道して横石鹿吉宅へ一泊せられ...
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鵜殿石仏群

鵜殿石仏群鵜殿石仏群鵜殿石仏群佐賀県史跡 鵜殿石仏群鵜殿石仏群については、次のような伝承があります。大同元年(806)、空海(弘法大師)が唐(当時の中国)より仏教修行をし、遣唐使と共に帰国した際にこの地に立ち寄り、釈迦如来・阿弥陀如来・観世...
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平戸松浦氏

平戸松浦氏は、又唐津の波多氏、有田の有田氏、伊萬里の伊萬里氏等と同じ松浦氏の分系である。源太夫判官久の孫披、始め上松浦川西の峰邑に在りて峰五郎と稱せしが、治承元年(1177年)巖谷(東松浦郡嚴木村)に轉じ獅子ヶ城を築きて居住した。而して後年...
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田代の筒江

田代窯山盃 一時藩窯なりし大川村の田代焼と稱するは、今の東田代部の筒江(田代より七八丁手前にて大川野より半里餘戸數三十戶)にて製造されしものにて、此處は元波多の家臣田代大炊助保(鶴田氏傍系筒江の舘に住す、五百石)の采邑である。古窯趾は川向ひ...