龜壽丸

大川町誌

古唐津のふるさと

古唐津沓茶碗 焼山窯古唐津山盃 田代窯甕屋の谷窯市若屋敷窯焼山窯田代窯跡大川一帯、特に眉山山ろくは、よい陶土に恵まれ、昔から古唐津の産地として知られています。肥前松浦鑑によると「寺沢志摩守が朝鮮帰陣のおり、唐(韓)人を連れてきて焼物を造らせ...
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唐津藩の中の大川

慶長三年(1598)に、豊臣秀吉が死んで、わずか二年たったばかりの慶長五年には、関ケ原の合戦で天下の支配権は徳川家康の手に移りました。やがて、同八年(1603)には、征夷大将軍に任ぜられ、幕府を江戸に開いて、元和元年(1615)秀吉の遺児秀...
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三河守の末孫

岸岳城朝鮮の役で名護屋付近に集結した軍船およそ四万そう、出征兵士は陸海合わせて二十万五千余、予備軍その他駐留軍はおよそ十万三千、合計三十万八千あまりということでずから、その規模の大きさは、ちょっと想像できません。名護屋城やこれだけの軍勢の陣...
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波多氏と鶴田氏の反目

鶴田越前守前の墓(2木町浪瀬)天文十六年(1547)岸岳城主波多壱岐守盛が急死したので、その世継ぎ問題からお家騒動が起りました。その後のつぎについて、鶴田因幡守直・弟越前守前・日高大和守資・相知掃部助・青山采女正など、波多氏の近親者や重臣ど...
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龍造寺軍敗走

立川の古戦場立川盛家松の跡日在城危しの知らせを受けて、岸岳城主波多下総守親興は直ちに援軍を送り、地元の馬場・徳末・山口以下下松浦党の面々も急援にかけつけました。そして盛家・三郎四郎父子の軍を取り囲み、一兵も逃すなとばかりときの声をあげて攻め...
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鶴田氏の日在城

獅子ケ城松浦源太夫判官久の第二子持(波多源二郎)は波多郷一帯の分譲を受け、波多氏を称して息子岳(岸岳)城を築き、持の第一子親(波多源太)は父の後を受けて岸岳に拠りましたが、第二子来は鶴田(相知町佐里)にいて、鶴田太郎と称し、鶴田氏の始祖とな...
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大河野氏の後継

日在城松浦家世伝によれば、大河野遊の子知の代で大河野氏は絶えたことになっています。ところが松浦党大系図抄では「知の子馴」を鶴田氏の祖と注してあり、松浦家世伝には「上松浦党祖波多持の二男来が、鶴田(相知町)という地を領したので鶴田を氏とした。...
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松浦党

伊万里文書建久三年(1192)源頼朝は鎌倉に幕府を開いて、いわゆる武士による封建制度を始めました。昔の国司・郡司の制はまったく名前だけになり、源義経探索を理由にして設置したといわれる守護・地頭がこれにかわり、国政は大変革をしたのでした。嵯峨...
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大河野遊日在城築城

日在城日在城松浦家世伝や松浦系図には、「御厨公松浦の四男遊が、大川野に居住したので、大河野氏と称す。」となっています。直の一統はいわゆる下松浦で、同じ下松浦の平戸の祖といわれる弟の峯五郎披が、所領を与えられるまで兄のいる川西下構の峯館にいた...
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日在城

佐賀県伊万里市大川町にある日在城(ひありじょう)1. 歴史と城主の変遷日在城は、中世にこの地域一帯で勢力を誇った武士団松浦党(まつうらとう)ゆかりの山城です。開祖(大河野氏):平安時代末期の久寿年間(1154〜1156年)、松浦党の祖である...