佐賀県伊万里市大川町にある日在城(ひありじょう)
1. 歴史と城主の変遷
日在城は、中世にこの地域一帯で勢力を誇った武士団松浦党(まつうらとう)ゆかりの山城です。
開祖(大河野氏):平安時代末期の久寿年間(1154〜1156年)、松浦党の祖である源久の孫・大河野遊(おおかわの すさむ)がこの地に居住し、築城したのが始まりとされています。以後、大河野氏の居城となりました。
鶴田氏への継承:天文年間(1532〜1554年)に大河野氏の跡継ぎが絶えたため、一族の婚姻関係にあった鶴田伝(つるた つたえ)の長男・鶴田因幡守直(のちの直後)が後を継ぎ、日在城へ入りました。これによって日在城は、草野氏や波多氏と並ぶ東肥前の有力国人・鶴田氏の本拠地となります。
歴史的な合戦:1544年(天文13年)の「立川の戦い」では、勢力拡大を狙う龍造寺盛家(隆信の祖父)の軍勢が日在城に攻め寄せましたが、城主・鶴田直がこれを迎撃し大勝したと記録されています。
武雄への移転と廃城:戦国時代末期の天正初年、時の城主・鶴田因幡守勝は後藤貴明に属して武雄(現・武雄市)へと拠点を移したため、城としての役割を終えました。
2. 立地と城の構造(遺構)
自然の地形を最大限に活かした、中世ならではの強固な山城です。
天然の要害:標高約200mの4つの峰から構成されており、東側には北へと流れる松浦川があるため、東からの敵を防ぐ天然の堀として機能していました。
構(かまえ)の集落:山麓の段丘には「構」という集落があり、当時武士集団が居住していた屋敷地(根小屋)の名残をとどめています。
主な遺構:山中には当時の拠点であった曲輪(くるわ)や、敵の侵入を防ぐ横堀(空堀)の跡が一部現存しています。
3. 現在の様子と登城の注意点
歴史ファンにとっては非常に興味深い城跡ですが、見学の際は入念な準備が必要です。
山麓の説明板:构公民館近く(Google マップのマーカーから東北東のあたり)に、日在城の歴史を解説する説明板と、当時の土塁遺構が設置されています。
ハードな登山路:山頂(標高約220m)へ向かう登山ルートは整備されておらず、巨岩が転がる急斜面を登る非常にハードな山道(直登)となっています。
アクセス:JR筑肥線の大川野駅と駒鳴駅の中間に位置しています。周辺に専用の駐車場はないため、公共交通機関からの徒歩(または駅周辺の利用)が必要です。山に入ると携帯電話の電波が微弱になるため、単独行動を避け、トレッキングシューズなどの本格的な登山装備で向かうことを強くおすすめします。


