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大川野遊

 元松浦黨の一家大川野遊の領地(千五百八十石)にて川西の日在城に居住し、別に含弟峰五郎彼が(平戸松浦及伊万里氏の祖)川西なる峰の舘に住居した。
 而して遊の子孫鶴田、田代、河原を氏となして此地方に蟠居し、其外波多氏の旗下には南源三郎保道(大川野南の舘四百石)原善四郎源佐(大川野三百石)峰丹後守但(川西峰の舘三百石)峰五郎八通(下鄉百五十石)田代日向守林(龜井の館三百石)赤木治部太夫彥秀(川原三百石)鶴田龜壽丸(山口)等ありしも、就中日在城主鶴田因幡守勝(五百石)及舎弟河原の邑主河原之允高(二百石)最勇名があつた。 系圖左の如くである。
(鶴田河原系圖参照)
肥前陶磁史考より

 山口の天正六観音石幢は妙香という女性が造立したもので、五輪塔は亀童丸の墓だといいます。荘山城主が鶴田亀童丸で、妙香という女性はその娘であり、厳木町浪瀬にある獅子城主鶴田越前守前の夫人で、賢の母でありました。