源大夫久から十五代目波多三河守好久の支城鶴田亀童丸の末孫大坪重右エ門を以て當家の先祖とす。重右エ門の父を平兵衛と云う。妻コト夫婦の中に二男あり長男を重右エ門、次男を一郎と云う。重右エ門分家して姓を大坪と称し大川野宿より妻を娶りシカと云う。
重右エ門性直寛にして山口村惣代をして二十有余年久としきに至り一子も得ず本家一郎に三男二女あり長男彦四郎を相続人とし次男幸平を分家し三男新五郎を以て重右エ門の養子に貰い之を相続す。重右エ門八十八歳の時高令を以て長崎褒毎年二人扶持府下賜る。九十二才にして没す。
新五郎の妻に田代村高取常エ門四女ワサを貰い受け一子を設け椎名を市太郎とよぶ。明治二年性を再び鶴田と改め市太郎を源吾とと改名すす。妻を相知村岩部丹平二女スイを貰い受け三男二女あり、長男五歳にして没し二男を以て相続す。