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鶴田越前守前の墓

鶴田越前守前の墓

つるたえちぜんのかみすすむ 戦国時代の終わり頃(16世紀後半)にその存在が知られている獅子城は、敵対する佐賀地域と唐津地域の国境に近く、古くから戦の最前線として重要な場所とされてきました。当時、 松浦地方を中心に勢力を誇 […]

獅子城跡

獅子城跡

獅子城跡の歴史獅子城跡は治承~文治年間 (1177~1190) に峯五郎源披によって築城されましたが、 披の子である源持の時に平戸に移ったため以後長い間廃城になったといわれています。 持が獅子城を去ってから、 上松浦地方 […]

割出地返納

 降つて唐津の領主水野越前守忠邦の時、領内の全部を實地概測せしところ、總祿高より一万八千石の餘剰を割出せしを以て、此地味豊饒なる大川野地方を幕府へ返納すること成った。依つて之より此處は江戸の直轄地となり、其後肥前の島原及 […]

大川野遊

 元松浦黨の一家大川野遊の領地(千五百八十石)にて川西の日在城に居住し、別に含弟峰五郎彼が(平戸松浦及伊万里氏の祖)川西なる峰の舘に住居した。 而して遊の子孫鶴田、田代、河原を氏となして此地方に蟠居し、其外波多氏の旗下に […]

鬼子嶽城大評議

 此時城中に在りし波多氏の一族即ち、獅子ヶ城主(殿屋にて五百石)鶴田越前守前、日在城主(大川野にて五百石)鶴田因幡守勝、姥ヶ城主(黒川にて五百石)黒川左源太夫周、新久田城主(井手野にて五百石)井手飛彈守度源を始め、重臣に […]

唐津陶苑

唐津陶苑

所在地佐賀県伊万里市大川町山口字内山大川町には寛永、享保の昔から焼かれたという、たくさんの窯跡があります。 そして今なお、唐津焼に最適の優秀な陶土が豊富に埋まっています。この優秀な陶土を生かして、川原の神谷窯の古唐津の伝 […]

隆信上松浦を攻略す

 天正元年十二月(三百六十三年前)佐嘉の龍造寺隆信は、従弟鍋島飛彈守信生(直茂の前名)を將として上松浦に進軍するや、鬼子嶽城主波多三河守鎮、獅子ヶ城主(今の木村波の西北)鶴田越前守前、日在城主鶴田因幡守勝等之を迎へて聘禮 […]

波多鎭の相續

 斯くて鬼子嶽城は有馬の藤重丸を迎へて後嗣となし、太郎二郎鎮と稱せしが後三河守と改めたのである。然るに鎮は嚮きに已れが相續に反對せし波多家の同族を膺懲せんと欲し、大川野(西松浦郡大川村)日在の城主鶴田勝を攻めたるも、鎮敗 […]

亀童丸

亀童丸

  古城跡と山口下手附の霊域下手附とよぶ字に、納骨堂が田園の中に建って、その敷地に五輪塔や六地蔵、六観音石瞳がたてられて霊域となっています。古老の語るところでは、みだりにここに入ればたたりがあるというので、子供のころは恐 […]