つるたえちぜんのかみすすむ
戦国時代の終わり頃(16世紀後半)にその存在が知られている獅子城は、敵対する佐賀地域と唐津地域の
国境に近く、古くから戦の最前線として重要な場所とされてきました。
当時、 松浦地方を中心に勢力を誇った松浦党の一統で、この獅子城の城主であった鶴田越前守前は、天正四年(1576年)に死を遂げた後、この地に葬られたようです。
この墓の形は五輪塔と呼ばれ、 上から宝珠形(空)・半円形(風)・三角形(火) 円形(水)方形(地)の五つの形 (要素)からなります。 五輪塔は元々、死者の魂を鎮めるための供養塔として造られ始めましたが、 この頃になると墓標として用いられました。その高さは114cmと、 町内にある五輪塔の中でも最大級です。
厳木町教育委員会