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mitsuru1940

mitsuru1940

鶴田満 四十一歳 昭和十五年大川村役場 助役時代

大坪(鶴田)重右エ門

 源大夫久から十五代目波多三河守好久の支城鶴田亀童丸の末孫大坪重右エ門を以て當家の先祖とす。重右エ門の父を平兵衛と云う。妻コト夫婦の中に二男あり長男を重右エ門、次男を一郎と云う。重右エ門分家して姓を大坪と称し大川野宿より […]

鶴田越前守前の墓

鶴田越前守前の墓

つるたえちぜんのかみすすむ 戦国時代の終わり頃(16世紀後半)にその存在が知られている獅子城は、敵対する佐賀地域と唐津地域の国境に近く、古くから戦の最前線として重要な場所とされてきました。当時、 松浦地方を中心に勢力を誇 […]

獅子城跡

獅子城跡

獅子城跡の歴史獅子城跡は治承~文治年間 (1177~1190) に峯五郎源披によって築城されましたが、 披の子である源持の時に平戸に移ったため以後長い間廃城になったといわれています。 持が獅子城を去ってから、 上松浦地方 […]

kikuji1901

kikuji1901

明治三十四年春 遠遊会記念撮影 菊治二十六歳

割出地返納

 降つて唐津の領主水野越前守忠邦の時、領内の全部を實地概測せしところ、總祿高より一万八千石の餘剰を割出せしを以て、此地味豊饒なる大川野地方を幕府へ返納すること成った。依つて之より此處は江戸の直轄地となり、其後肥前の島原及 […]

大川野遊

 元松浦黨の一家大川野遊の領地(千五百八十石)にて川西の日在城に居住し、別に含弟峰五郎彼が(平戸松浦及伊万里氏の祖)川西なる峰の舘に住居した。 而して遊の子孫鶴田、田代、河原を氏となして此地方に蟠居し、其外波多氏の旗下に […]